2023年07月16日00:00

最近
自ら命たつ著名人のニュースが
あとたたない

そのたびに
思うことが多々ある
私の友人も
10年前に
自らの命をたった。
安らかな顔をしてたよ
自分の人生を全うした感じだった。

毎年
学生時代の
仲の良い数人で
旅行に行っていた。
その年は直前に
「仕事忙しいから行けない」と連絡を受けた。
「わかったよ。お土産買ってくるで」と
それが最後の会話だった。
無理矢理誘えばよかった。
旅行から帰ってきて
2日後だった。
見計らったように。
お土産を持って行く時だった。
余計に無理に誘えばと。

しかし
安らかな顔を見た時
無理矢理誘っていても
「どうだったのか」と感じた。

命をたつニュースを見るたびに感じる葛藤
「無理矢理に誘っていたら」
友人の命は数週間又は数ヶ月
延ばすことができたと思うが
どちらにしても命をたったと思う。
僕たちは、
「何かできなかったのか?」と
「辛い想いを、なんとかできなかったのか?」と。
お話し合った。
勝手な責任も感じた。
答えは「どうしようもできなかった。」
どうしても安らかな顔が忘れないから。
思い詰めるまでの理由は知っている。
でも、それは本人じゃないから
僕たちの勝手な想像にしかない。
本人いないから。

国や市や報道機関
「命の電話」
私たちやってる間
むんむんに醸し出しているが、
僕は思う
命経つ人、
そういうの関係ないと思う。
いや絶対関係ないとは言わない。
「命の電話」で救われている命はあると思う。
立ち直る人もいるから。
でも、その方たちは、まだ自分を見失ってない人
もう自分を見失った人は
誰がどんなことしたって無理だから。
「悩み言えよ」
「俺たちに相談しろよ」
呑みながら話したよ。
旅行の計画を立てていた時ね。
僕は
その友人の
自ら命を経つまでの
経緯を知ってるから

知っているふりをしているかもしれないけど
今でも自問自答する
ニュースや友人を思い出す時
「助けることができたのか?」
友人は友人なりに
リフレッシュしたり
好きなテニスしたり
ツーリングいったり
それなりに生きようとしていた。
ストレスを発散しようとしていた。
友人は逃げてない。
一生懸命生きたよ。
だから笑顔だったよ。
悔いなしって顔だったよ。
お父さんやお母さん
僕たちの残された人は
悔いだらけだけどね。
でも、あんなに安らな顔だと
そんなこと言えねぇよ。

何言いたいかわからんけど
本当に自らの命を経つことはいけないことだよ。
でも、
その人の背景知らない人が
「あーだ、こーだ」言わないことだね。
「そっとしといてあげてよ。」と思う。
情報社会
簡単に誹謗中傷できる時代
意見を言える場と言えば良い場所
度を過ぎると危険な場所

やっぱり
面向かって
みんなの顔をみて
現実社会で生きてるんだから
そういうこと
ちゃんと伝えてかないとね。
今生きてる人が。
今思うことは
少しでも
自ら命を経つのではなく
授かった命
大切にしてほしいことと
考え直してほしい文章ではないと思うけど
全うしてほしいですね。
想うのなら
カテゴリー │日記

最近
自ら命たつ著名人のニュースが
あとたたない

そのたびに
思うことが多々ある
私の友人も
10年前に
自らの命をたった。
安らかな顔をしてたよ
自分の人生を全うした感じだった。

毎年
学生時代の
仲の良い数人で
旅行に行っていた。
その年は直前に
「仕事忙しいから行けない」と連絡を受けた。
「わかったよ。お土産買ってくるで」と
それが最後の会話だった。
無理矢理誘えばよかった。
旅行から帰ってきて
2日後だった。
見計らったように。
お土産を持って行く時だった。
余計に無理に誘えばと。

しかし
安らかな顔を見た時
無理矢理誘っていても
「どうだったのか」と感じた。

命をたつニュースを見るたびに感じる葛藤
「無理矢理に誘っていたら」
友人の命は数週間又は数ヶ月
延ばすことができたと思うが
どちらにしても命をたったと思う。
僕たちは、
「何かできなかったのか?」と
「辛い想いを、なんとかできなかったのか?」と。
お話し合った。
勝手な責任も感じた。
答えは「どうしようもできなかった。」
どうしても安らかな顔が忘れないから。
思い詰めるまでの理由は知っている。
でも、それは本人じゃないから
僕たちの勝手な想像にしかない。
本人いないから。

国や市や報道機関
「命の電話」
私たちやってる間
むんむんに醸し出しているが、
僕は思う
命経つ人、
そういうの関係ないと思う。
いや絶対関係ないとは言わない。
「命の電話」で救われている命はあると思う。
立ち直る人もいるから。
でも、その方たちは、まだ自分を見失ってない人
もう自分を見失った人は
誰がどんなことしたって無理だから。
「悩み言えよ」
「俺たちに相談しろよ」
呑みながら話したよ。
旅行の計画を立てていた時ね。
僕は
その友人の
自ら命を経つまでの
経緯を知ってるから

知っているふりをしているかもしれないけど
今でも自問自答する
ニュースや友人を思い出す時
「助けることができたのか?」
友人は友人なりに
リフレッシュしたり
好きなテニスしたり
ツーリングいったり
それなりに生きようとしていた。
ストレスを発散しようとしていた。
友人は逃げてない。
一生懸命生きたよ。
だから笑顔だったよ。
悔いなしって顔だったよ。
お父さんやお母さん
僕たちの残された人は
悔いだらけだけどね。
でも、あんなに安らな顔だと
そんなこと言えねぇよ。

何言いたいかわからんけど
本当に自らの命を経つことはいけないことだよ。
でも、
その人の背景知らない人が
「あーだ、こーだ」言わないことだね。
「そっとしといてあげてよ。」と思う。
情報社会
簡単に誹謗中傷できる時代
意見を言える場と言えば良い場所
度を過ぎると危険な場所

やっぱり
面向かって
みんなの顔をみて
現実社会で生きてるんだから
そういうこと
ちゃんと伝えてかないとね。
今生きてる人が。
今思うことは
少しでも
自ら命を経つのではなく
授かった命
大切にしてほしいことと
考え直してほしい文章ではないと思うけど
全うしてほしいですね。